B型肝炎と訴訟問題を考える

はじめまして。 B型肝炎に感染し、これまでとてもつらく、苦しく、悲しい思いをされたことでしょう。ここでは一緒にB型肝炎と訴訟問題について考えていきたいと思います。ここでの知識が、あなたのお役に立ちますように。

B型肝炎

肝炎患者さんのための一日一語『毒矢のたとえ』



有名なお話ですからご存知の方も多いでしょう。矢が刺さって血がどくどく出ているのに「この矢は誰が放った。弦は何でできていて、矢羽は何でできているなどと考えてもしょうがない。早く引っこ抜くことが大事なのだ」という仏教のたとえ話です。

わたしたちは何でも知りたがります。何でも知りたい、わかりたいという気持ちを持っています。宇宙の果てはどうなっているのか、死んだらどうなるのか、幽霊はいるのかいないのかなど、とにかくどこまでも何でも知りたがります。

でも、本当に大事なことには目をつぶります。「う~ん、めんどくさいなあ」と思います。これはB型肝炎訴訟についても同じです。

「B型肝炎訴訟? 弁護士に頼むの? なんだかおおごとだな。めんどうだな」と思うかもしれません。「悪いのは国だ。俺はひとつも悪くないぞ」と思うかもしれません。

B型肝炎問題で国が悪いのはみんなが知っています。誰もそれを否定しません。でも、国が悪いからと大声で叫んで自分の正しさを訴えることと、今身体にささっているB型肝炎ウイルスという毒矢を引っこ抜くことはまるで別なのです。

肝炎ウイルスはいつ活性化するかわかりません。身体に毒矢がささっているのにそれを引っこ抜かずに「国が悪いからこんな目に遭った」といってもしょうがないのです。

まずやるべきことは自分の身体を自分の責任で、なるべく少ないリスクと手間でケアすることなのです。自分で毒矢を抜かなければ、誰も助けてはくれないのです。

他の誰も自分を助けてはくれません。だからこそ、今、肝炎訴訟を行うことは大切なのです。

肝炎患者さんのための一日一語『合同船』

合同船とは乗合船のことで、箴言として用いられる際は、唐の皇帝に南陽の僧が与えた偈(韻文)の一節とされます。

乗合船というと古めかしいですが、フェリーと考えても、飛行機や電車・バスととらえてもおかしくはありません。ともに同じ乗り物に乗る人には色々な人がいます。生まれたばかりの赤ちゃんもいれば、高齢者の方もいます。新婚カップルもいるでしょうし、ビジネスマンもいることでしょう。善人もいれば、悪人もいます。

いろいろな人がそれぞれの目的で、同じ乗り物にたまたま乗りあわせていますが、誰もがこの乗り物が事故に遭っては困ると思うはず。そういう意味で、ともに乗り合うということは、なにがしかの縁で少しの間、一緒に乗り合わせる運命共同体なのです。

これを広くとらえれば、わたしたちはみんな、同じ地域社会、同じ国家、同じ時代という乗合船の人間でもあります。より小さく捉えれば、無数の細胞で形成された自分の身体という乗合船に、自分は今乗っているともいえます。

このたくさんの部品で構成された身体という乗合船に、B型肝炎ウイルスというお客がたまたま乗っているのが、肝炎患者さんです。うっとうしい思いもするでしょうし、ときに肝炎ウイルスのことまで配慮しなければ、人生をうまく操縦しにくいこともあるかもしれません。

でも、自分が乗合船の船長だったとして、今の段階では肝炎ウイルスだけを船から下ろすことはできないのです。ウイルスを大事にする必要はもちろんありませんが、無限に広がる因果の中から、何か不思議な縁でやってきた珍客だと思えば、少し心が安らぐはずです。

肝炎患者さんのための一日一語『無分別』

「むふんべつ」と読みます。

分別とは、何かと何かを分けること。これとあれに境界線を引くこと。りんごを2つに切れば「へた」がついている方と、ついていない方に分かれます。右のりんごと左のりんごにわかれます。

わたしたちの身体はバイキンだらけです。道ばたを歩いている人もそうだし、当所の所員もそうだし、電車に乗っている人もそうです。日本の首相でも、アメリカの大統領でも、どんな聖人君子でもそうです。

おなかの中には大腸菌がいますし、たばこを吸っているなら肺の中はヤニだらけだし、口の中は口内細菌だらけです。肌にもいっぱいバイキンがついています。空気中にはインフルエンザウイルスやらノロウイルスやらがたくさん飛び交っています。

みんながバイキンだらけ。その中で、たまたま、肝臓にいるB型肝炎ウイルスの量が人より少し多いだけの人がいます。

これを病院で検査することで、お医者さんは言います。

「これはB型肝炎ですね」

ああ、そうなんだ。みなさんは信じます。

この瞬間、みなさんは自分を他人とわけます。こういう言葉で分別します。

「わたしはみんなと違う。わたしはB型肝炎感染者なんだ」と。

B型肝炎ウイルスが家族に感染しないよう、会社の人たちに迷惑をかけないよう、気配りをするのはすばらしいことです。

でも、頭から「自分はB型肝炎の病人なんだ」と分別してしまうのはいただけません。肝臓の中にいる肝炎ウイルスの量がちょっと多いだけ。それだけの人なのです。

B型肝炎感染者と自分を分別するのは止めましょう。

感染者というくくりで自分を見つめると、パートナーと親しくなる前に未来が怖くなってしまいます。感染者というくくりで自分を見つめると、就職するのも大変になってしまいます。

世界中、みんながバイキンだらけ。その中でたまたま自分は、あるウイルスの量が多いだけ。それだけなのです。

その対策を勘案して、肝炎訴訟をしっかり行う。治療薬を飲んでおく。治療を受ける。それはもちろん行うべきこと。でも、自分を頭から「こういう人間なんだ」と言葉で決めつけてしまう必要などまったくないのです。

肝炎患者さんのための一日一語『不思議』

不思議、みなさんご存知のとおり、言葉では言い表せないものを示す言葉です。

少し不思議な話をしましょう。

ご自分のてのひらを見てください。
てのひらを拡大すると、皮膚の一部が見えますね。
皮膚を拡大すれば細胞の集まりになります。

細胞は分子でできています。
もっと拡大すると原子になります。

ここまではみなさんご存知だと思います。
おもしろいのはここからです。

原子は原子核の周囲に電子が3つ回っています。
原子核を手のひらくらいの大きさとすると、電子は髪の毛くらいの太さで東京23区ほどの空間をぐるぐると回っているのだそうです。

わたしたちの身体は実はこんなにもスカスカ。
なのにそれが集まると分子になり、細胞になり、皮膚になったり、血管になったりします。

わたしたちの身体を原子くらいまで小さくすれば、世界はグラデーションがかかった密度の濃淡にしか見えないでしょう。あなたも、わたしも、机も、椅子も、空も、海も、密度の濃い薄いの差でしかないはずです。

それにも関わらず、わたしたちは今ここに意識を持って、みんなが大騒ぎ。
実に不思議なことだと思いませんか。

わたしたちが今ここに生きていることも「不思議」
すべてが原子のグラデーションの濃淡にすぎないことも「不思議」

あなたが過去、肝炎で苦しい思いをしてきたことも「不思議」

そんな過去の自分を救うべく、宇宙開闢のはるか昔から今、この瞬間、肝炎訴訟を行う決意をするのも「不思議」であり、訴訟をしないこともまた「不思議」なのです。

そしてそれぞれの決定によって未来が無限に変化してゆくことも、また「不思議」なのです。

不思議です。世界は本当に不思議なものなのです。

肝炎患者さんのための一日一語『香厳上樹』



「きょうげんじょうじゅ」と読みます。

世に言う「禅問答」の話です。

香厳というお坊さんがあるとき、小僧さんに向かって「高い木の枝に口でぶらさがれ」と命じました。そしてそのまま「禅の極意とは何だ。答えろ」と訊いたのです。

答えれば落下して小僧さんは死んでしまいます。答えられなければ小僧さんは答えられない未熟者のまま。さあ、どうすればいいでしょう。というのがテーマです。

人は生きるにあたってときどき大きな問題にぶつかります。どんな人でもです。

ましてやB型肝炎という大難題に突き当たった人にとって、これにどう対処すべきかは人生の一大事。

そういうとき「わからない。知らない」とほっかむりをして逃げてしまうのは簡単です。でも、逃げてしまうといつまでたっても難題はそのまま。どんなに逃げたつもりでも難題はいつでもつきまといます。

でも、ときに命に関わるような大難題であっても、真正面からそれを見据え、自分なりに乗り越えようと尽力する。

人によってそのやり方は色々でしょう。それはそうです。同じB型肝炎であっても、人はけっして他人の人生を生きることはできません。自分の人生を一生懸命生きることしかできないからです。

しかし、その難題に真正面から取り組み、苦しくても一生懸命、今自分にできるせいいっぱいをやり遂げたそのとき、その人は、どんなに言葉を尽くしても語り尽くせない、途方もなく尊い、普通の人では絶対に得られない得難いものを手に入れることができるはずです。