“そのこころをむなしくす”と読みます。元は『老子道徳経』が出典であり、その内容はおおよそ以下のようなものです。

「民が争うのは賢者を尚ぶからである。泥棒が現れるのは宝物が出るからである。心が乱れるのは欲があるためだ。聖者が天下を治めるためには、民の欲望を鎮めねばならない」

これは帝王学の一種ともいえる箴言ですが、B型肝炎に悩むわたしたちの生活にどう応用すべきでしょうか。

それは民のかわりに自らの心を鎮めることです。国も社会も、そして自分の知り合いですら、こちらが変わってもらいたいとどんなに願っても、それらは決して変わることはありません。苦心惨憺しながらも、唯一変わることができるのは己の心だけ。

肝炎にかかればB型肝炎ウイルスに歯噛みして体調を気遣いつつ、日々の生活を送ります。肝炎のせいで仕事でひやひやしたり、人間関係に余計な摩擦をもたらさないかを考えます。

でも、世界はもっとシンプルなものです。わたしたちがいかに生きるかを誰かに教えられ、それに従って生きるのは楽なことです。あなたがB型肝炎に感染したのは、やれ先祖の行いが悪いからだの、なんとかいう神さまにお布施をしないからだのと、そういう言葉に従うのは楽ちんです。

でも、虚心坦懐に世界を眺めれば、誰しも心のどこかでうっすら気づいていたことが言葉にのぼってきます。自分がなぜ生きているかに意味はありません。どう生きてゆくかにも意味はありません。世界はただ見たまま、あるがままに存在するだけであり、肝炎ウイルスに至ってもそれは善悪とは関係がないのです。

人生に意味なんてない。世界に意味なんてない。だからやりたい放題やれば良いというのは愚かな者が陥る考えです。なぜなら、今この瞬間ですら、世界中で多くの医師たちが肝炎ウイルスを根絶する薬を研究しているからです。肝硬変を和らげる治療法や、肝がんを治す治療法を研究しているからです。

彼らはみんなB型肝炎感染者の苦しみ、悲しみ、嘆きを知っています。わたしたちを思って懸命に努力してくれている人たちでもあります。

だからこそ、わたしたちも、わたしたちなりに、今与えられている役割を精一杯こなしましょう。検査を受ける必要があるのなら、めんどうであっても検査を受けに行く。治療をするのであれば、日々の生活ももっと健康になるように尽力する。

その上で、もし多少の力が余ったのであれば、今世界のどこかで飢えている人に少しだけでも力を添えてあげましょう。日本であればすぐに治療できるような病気で死に瀕している貧しい国々の赤ちゃんを助けられるように、少しだけ気持ちを割いてあげましょう。

わたしが頑張れば、今、世界のどこかで苦しんでいる誰かが笑顔になる。

それに気づけることは、人として最も尊いものであることは間違いないはずです。